南高梅・伝統文化|和歌山 国民宿舎 紀州路みなべ

  • ご予約・ご宿泊プラン
  • みなべの代名詞 南高梅
  • みなべの伝統文化

みなべの代名詞 南高梅

生産量日本一! 南高梅とは

梅生産量日本一を誇る和歌山県を代表する品種が「南高梅」です。
非常に大粒な果実は果肉が厚く大変やわらかい為、味や食感も機械生産の梅干しに比べ大変優れ、梅の最高品種として重宝されています。主に梅干しや梅酒として加工され、形の良い見栄えから贈答品としても高い評価を得ています。
2006年にみなべいなみ農業協同組合から、地域団体商標制度による商標登録として「紀州みなべの南高梅」を出願し、特許庁より認定されました。

みなべの主幹産業は、何といっても「梅」です。
もともとこの辺りはひどいやせ地として知られていました。
そのため、時の田辺藩藩主が、梅を栽培している土地の税金を免除しました。そこで農民たちが積極的に梅を植え、現在のような梅の一大産地ができあがったといいます。
六月になると梅の収穫がはじまります。ネットを敷くなど改良はされてきているものの、まだまだ人手が中心の大変な作業です。
この時期は子供からお年寄りまで一家総出で収穫に追われます。まさに猫の手も借りたい日々が続きます。

みなべでは、農家が梅を収穫し、天日に三日以上干して出荷する一・五次産業のスタイルが主流です。
サイズや質で分けた梅を塩漬けにし、梅雨明けの頃から天日干しにします。梅農家のハウスをのぞくと、せいろの上に梅がずらりと並べられ、きれいに干されています。
この時期に町内を歩くと、どこからともなく梅の甘酸っぱい香りが漂ってきます。梅のまちならではです。

生産量日本一! 南高梅とは

みなべの梅の歴史や特徴を、映像や音声で楽しく学ぶことができる「うめ振興館」はこちら!

みなべの伝統文化

紀州備長炭

紀州炭の歴史は古いですが、その名が天下に知られるようになったのは、無類の固さを持ち、高温で火持ちのよい、極めて良質の、ウバメガシから作った備長炭が出現してからです。
江戸時代、紀州藩は財政収入を図るため、領内各地に仕入方を設け商品として流通を薦めました。以来、主に暖房用として日高、西牟婁など紀南の山村で焼かれていました。
戦後、エネルギー改革の中で、生産も激減していましたが、近年、調理用、水質浄化、土壌改良剤等の新しい用途でその良さが見直され、明るい展望が開けてきました。製炭の技術は、江戸期よりの伝統を受け継いだ古い手法を守っているので、熟練を要します。したがって、そうした技術者を育てること(後継者の育成)が、今後の大きな課題といえます。
昭和49年4月に県指定無形民族文化財に指定されました。

紀州備長炭

紀州備長炭についてもっと知りたい方はこちら!

岩代の子踊り

10月「体育の日」の前日に行われる東岩代・西岩代の両八幡神社の秋祭りで、小学校6年生以下の児童の子躍りが行われます。
東岩代八幡神社では、神をいさめの子踊り、手習いの子踊り、万歳踊り、奴房踊り、西岩代八幡神社では、千本桜、花桜、扇舞、黒髪の舞、奴房踊りが奉納されます。これらの踊りの期限はつまびらかではありませんが、慶長時代ごろには狂言などを奉納していたものが、元禄時代ごろ上方から芸能者を招き、今日の踊りを奉納するようになったといわれています。

昭和52年5月に県指定無形文化財に指定されました。 祭当日は、当館ロビーで見ることができるかも・・・。

岩代の子踊り

みなべの伝統漁法

みなべでは沿岸漁業が盛んで揚がる魚種は800種類以上。
主流は巻き網漁で、春先から秋にかけて行われます。この漁法は網船、魚群探知機船、灯船、運搬船などの組み合わせ で行います。灯船が集魚灯で魚を集めたところを網で取り囲み、網の下部を巾着のようにしばってだんだんあげていき、つかまえます。
また、棒受け網漁、通称ぼけあみは一隻の船で行いますが、やはり集魚灯で魚を集めて獲る漁法で、大正初期から行われています。4月から11月ごろにかけて行われますが、最盛期にはそのいさり火が夜の海を照らし、さながらネオン街のようになります。
他に、主に冬場に操業される刺し網漁、春先から初夏にかけて操業される引き縄漁、ほとんど一年間操業される延縄漁、船引網漁、一本釣漁などがあります。

みなべの伝統漁法

pagetop
pagetop